交際から同棲→結婚そして家族へとおよそ19年を共に生きた。
この長くも短い19年の間に数々の難題が襲いかかってきたしオイラにいたっては白血病という予想だにしない大病にも見舞われた。
しかし、いつも根底にあったのは「うちらは大丈夫、なんとかなる」精神だった。
我々夫妻はどんな大きなトラブルがやってきても全て返り討ちにしてやったのだ。
だから、今回も「絶対に大丈夫!」な結果になるはずだったんだけどな。
初めて「お前」と言ったかも知れない。
「奥様の呼吸が停止し瞳孔も開いています。」という医師からの電話を受け、子どもたちも連れて夜間に病院に向かう。
【寝耳に水】どころじゃない、濃硫酸を入れられたかのような衝撃。
しかし人間ってこういう時、意外と頭は冷静になるものだなとオイラの頭の中のもう一人のオイラが冷静に観察している感覚があった。
「まぁまぁ落ち着こう。高速道路を安全に運転しよう」と自分自身に励ましてもらいながら運転をした。この変な感覚ホントです。
子どもたちがいたこともあり、父親としてなるべくいつも通り落ち着いて見えるように行動した。
ところが、個室に移されていたぽかの姿を見た瞬間、それまで抑えていた感情が爆発してしまった。
お前何やってんだよ!!
妻に対して初めて「お前」という言葉を使ったと思う。
強く印象に残っているくらいだから多分間違いない。
これは裏切られたとか怒りの気持ちではない。自分の心がフル開放されてしまっているので感じたまま思ったままを口にしたわけだ。
ぽかの身体を抱きしめながら「クソー!チクショー!!」と、どこにもぶつけることの出来ない感情を口にしていた。
息子は母親にしがみついたまま、ずっと離れなかった。
高校受験を終え、見事志望校合格。この1年ひたすら頑張ったラストにこの展開はあまりにも残酷すぎた。
娘は12歳になったばかり。
年齢的にまだ幼く、ベッドで寝ている母の姿を見て頭の中が錯乱しているのは違いないのだが、恐らく一時的に心のシャッターを閉じた可能性がある。
「私は現実を受け止めません」とでも言いたげな表情をしていた。
しばらく後にオイラだけが別室に呼ばれ、医師から話を聞くことになった。
現実、そして絶望。
医師の話によると現在のぽかの状況は…
・呼吸が停止。(呼吸器でなんとかなっている)
・瞳孔が開いている。
・これは亡くなった方を最期に看取る時と同じ状況である。
・命がもってあと1、2日。
緊急で撮ったMRIの画像には素人でもわかるほど、脳のシワが殆どなくなっていた。
シワがわからないほど脳が腫れてしまっていて頭蓋骨内部を圧迫してしまっているのだという。
ここまで脳が腫れてしまってはまともに機能せず、体を動かすことはおろか自発呼吸の指令伝達さえ出来なくなってしまっているのではないだろうかという見解だった。
薬 VS 脳腫瘍の戦いの結果、残念ながら脳腫瘍の広がるスピードの方が勝っていた。
ついこの間までLINEでやりとりを行い、お見舞いに行けば手を繋ぎながらお話をしてくれたぽかちゃん。
「今日はもう帰るよ!また来るから頑張ろうね」と言うとポロポロ泣きながら手を離さなかったぽかちゃん。ずっとオイラの手をギュってしたくて、看護師さんと部屋に帰る時も車椅子から右手を出して「手を繋いで」のサインを出していた。
当然、治療がうまく進むと思っていたし、1ヶ月もすれば意識もかなり回復して大変ながらも楽しいリハビリ生活が出来るものと信じ込んでいた。
「大丈夫、なんとかなる!」の精神が初めて通用しないかも知れない事態になってしまった。
絶望。
当然ながら奇跡が起こることを願う。必ずぽかは回復する。
娘の卒業式には、なんとか行けるかも知れないという希望があったから…。
だが、どうやってもとめどなく湧き出てくる「絶望」の感情に支配されそうになる。
きっと後にも先にも、この絶望感を超えるものは無いと思う。
こちらでの最後の10日間
それからの日々はとにかく思いつく出来る限りの全ての事をした。
家族や友人から頂いたお守りを飾り、オイラ自身も毎日ぽかに声を掛け、看護師さんの計らいで大好きなホルン協奏曲を病室でかけたりもした。
ブルーソーラーウォーターといういわゆる【聖水】を作って顔や手を拭いたり、ベッドや病室の床を拭いたり、身体や精神に良いとされる周波数の音楽を流したり…。
とにかく【感謝と愛】をもって、ぽかの意識が戻ることを祈り続けた。
「昨日こんなことがあったよ」「今日は天気が良いよ」と語り続けた。
身体に触れたり話しかけると心拍数や脈拍が良い数値で安定することもあり、そんな時は写真を撮って家族みんなで共有し希望を見出していた。
この感じで行けば、もしかしたら自発呼吸してくれるかも!!
この間に息子の卒業式が行われたのだが、息子は自分で学校に相談して卒業式以外は出来るだけ母の側にいられるような環境を作っていた。
最後まで希望は持ち続ける、奇跡が起こるようにと祈る。
だがその反面、意識の戻らないぽかに対してオイラも息子も少しずつ「最期の日」への覚悟を決めつつあった。恐らく娘も心のどこかで覚悟はしていたかも知れない。
お互い直接その言葉を口には出さないが「もしものこと」が起こったとしても、ママは絶対に十分幸せで頑張った人生だから、みんなで「ありがとう」と言おうねと。
病院の帰り道、いつもそんな話をしていた。
むしろ色々なことを考えるために10日間も時間を頂けたことは奇跡なのかも知れないと今では思える。
義理のご両親に妹さん、親友や仕事仲間など一通り身近な方々もお見舞いに来て下さり、
ぽか自身も最後の挨拶を済ませることが出来たように思える。
意識を失ってからちょうど10日後。
これ以上、今の身体にお世話になることが難しくなってしまったらしく、ぽかは肉体から離れることになった。
この10日間の出来事はもっともっと重たい日々で私達の感情は簡単には書くことが出来ない。
とにかくぽかちゃんは【今回の人生を美しく生きた】という事実だけがある。
オイラ自身も、妻にとって幸せな人生をフルサポート出来たと思っている。
ぽかちゃんと出会えた人生には【感謝と愛】しか無い。
そしてこの日を境に、自ら望んだわけでもなく死別シンパパという超ハードモードな人生が始まるのであった…。
本当に勘弁してほしいよ。そう来たか〜!!!!
ソレとコレとはちょっとまた別の話になるわー。
そんな感じで「シンパパだだぴ」は、それでも楽しくテキトーに生きると決めた。
出来れば同じ境遇、いやもっと辛い経験で深い悲しみに暮れている方に光を当てたいと思っている。
こんなふざけたノリの死別経験者もいるからね。
大丈夫、大丈夫。