人はいずれピラピラ。

空に向かって飛んでいく女性の絵

「ピラピラ」いつの頃からその言葉が作り出されたのかわからないが、
うちのぽかちゃん(妻)は人が亡くなることを意味する言葉を子どもたちに直接的に言葉で表したくなかったようで、
「ピラピラ」という言葉を使っていた。
たぶんお星さまになってキラキラ✨っていうことだと思う。
「いつかパパやママがピラピラになったら…」とか「ピラる」みたいな言い方をしていて、
それがとても可愛くて好きだった。

40年以上も生きていれば、何度かは人の人生の最期に触れる機会がある。
大好きだった伯父、祖父に祖母、友人、小さい頃から可愛がってくれた大好きなおばちゃん。
それは自分にとってとても残念だし悲しい思い出だけれども、「人がピラる」ことについて
深く考える程ではなかったように思える。


しかし最愛の妻がいなくなって、ようやく理解できたことがある。

人は100%この世から去る

世の中に「100%」、「絶対」と言い切れることなんてどのくらいあるだろうか。
実際のところほとんど無いと思う。

けれども、これだけは確実に言いきれる。

人は生まれた以上、必ずこの世から去る。

いつも側にいた人がある日を境に突然居なくなる、時間をかけて段々とゆっくり居なくなることはない。
心のすれ違いや色々な事情による「別れ(別離)」なら、もしかしたらどこかで偶然再会することはあるかも知れない。

けれど、「死別」は文字通り生きている側と亡くなった側なのでお互いが肉体として出会う機会を
完全に絶たれてしまうんだ。もし霊界が在って亡くなった人と自由に話せるような能力があるのなら
どれだけ救われるだろうかと思うが、残念ながら僕も子ども達もそんな能力を持ち合わせていない。
いや、もしかしたら娘のぴょろ子にはあるかも知れない。あいつは宇宙人だから。

そして残された時間を全うしてこの世を去った時にはようやく再会できます!という保証がない。
これが一番辛いことなんじゃないかなと今は考えている。

また会えるという保証があるのなら、その日をワクワク期待しながら残りの人生を一生懸命に、
そして楽しく過ごしていけるんだけどなぁ…。

現実と頭が追いつかなくて頭がグールグル

この記事を書いている時点では、ぽかちゃんがピラってからまだ3ヶ月も経っていない。

・「愛する人が亡くなった」という状況は理解できる。

・けれどもその事実がまったく理解出来ない。

もし、これが「わかるわかる!!」という方がいたら少し心が軽くなる…ような気がする。

お線香を焚いて仏壇に向かって手を合わせていると、ほぼ毎回はてなが飛ぶ。

この仏壇はなんでここにあるんだろう?

俺は一体誰に向かって手を合わせているんだ?

これからも二人仲良くじーちゃん、ばーちゃんになるものと思っていたんだ。
子ども達も大きくなってかなり手が離れて、時間が出来た。
さてここからまた新しい面白いビジネス考えたり、毎日のようにおしゃれなカフェで「あーじゃね、こーじゃね」と身にもならない話しをするんじゃなかったっけ??

チミは一体どこにおでかけしてしまったのかな?

だだぴ
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